たとえほどけてしまっても

製作をしていると、一日と一日の境目がどこなのか、たまにわからなくなります。
テレビも音楽も聴かない状況で、お腹がすいても、コーヒーを飲もうと湧かしても、
それすら忘れて、ずっとずっと描いている時があります。
そして気づけば眠ってしまっています。次の展示へ向けて、そんな日々が続いています。

そんな中、両親が結婚40周年記念で、東京を訪ねてくれました。
母親がずっと行きたがっていた鎌倉へ、ひんやりとした雨の中、
長谷の観音様も、鎌倉の大仏様も、僕ら三人をあたたかく迎えてくれました。
父親と母親が別々に東京に訪ねてくることはたまにあったのですが、両親一緒にこういう形で来るのは初めてでした。

何のタイミングが重なったのか、たくさん話をしました。

きっと大人になって、こんなにたくさん話をしたのは初めてだったかもしれません。

ずっと両親にだけは言えなかった、自分が絵を描いている理由。
実家を離れた理由、大学を辞めてしまった理由、
そして今、自分がどう感じているかという、全て。

僕の家族は父と母と姉と兄がいます。

もう何年も前になりますが、僕たちは、家族のひとりを不慮の事故で亡くしています。
僕が15歳の時の不慮の事故がきっかけで、それから後遺症に苦しみながら24歳の時に見送りました。

本当に何も問題もなく、平凡でみんな仲良くしていた家族でも、どうしても拭い去れない、
とても辛い出来事は不意に訪れてしまいます。

どうしてその事故が止められなかったのか。

幼かった僕は、自身の懺悔も含め、
どうしても受け入れられなくて、許せなくて、悲しくて、辛くて辛くて、
高校を卒業して、すぐに家を出ました。
まるで自分だけがその哀しみを背負ったと言わんばかりに、
受け止められなかった僕は、
一番の被害者のような顔をして、家族の事、その事を憎みました。

真っ暗闇の草原をひとりぼっちでずっと歩いている気でいました。
星のひとつも見えない、先の道も見えない、
もう何もない。
何だか全てのものと、自分の目の間に、いつも薄い膜が張られているような感覚でした。

この10数年間、僕はその草原が、
実は、両親と兄弟達の大きな手のひらの上だったことに気づくことさえできませんでした。

しかし、去年の震災がそんな気持ちを大きく変えました。
この暗い世界に自分自身はひとりぼっちだったなんて、
それは大きな間違いで、ずっと一緒にいて、見守ってくれていた家族がいたことに気がつきました。
生きているという事がこんなにも尊いなんて知りませんでした。

自分だけが悲しいなんて、甘えたことばっかり言ってるな。

僕は誰かに平手打ちをされたように、目が覚めました。
そして、ずっと寄り添ってくれていた「絵を描く」という事。僕は全く絵を大事にしていませんでした。
ごめんなさい、ごめんなさい。
ずっと痛めつけるようなことばかりして。
自分の事ばかり考えて、傷や痛みをふりかざしてばかりの絵しか描かないなんて、
僕は表現する資格なんてなかった。

本当に傷ついているのは僕なんかじゃない。

哀しみを乗り越えて笑っている人たちを見て、
本当の「強さ」に気づけたような気がしました。

そんな話を、母に全部聞いてもらいました。
母は言いました。
「あんたの絵が最近、やさしくなったのが、一番嬉しいよ。
いつも苦しそうで、悲しそうで、私は、何も言えなかった、
ただ見守るしかなかったんだよ」

母と眺める70階からの夜景は、
何だかとても光っているのに、何だかずっしり重くて静かで、
でも自分がずっと彷徨っていたあの暗闇とは全然違っていて、
すごく強くて、生きる力がみなぎっていました。

たくさんの人達が生きている、光り続けている。

そして誰かが誰かを見守っている。

そして去年、清澄の東京都現代美術館に展示された
「母」という作品の事も初めて母の前で話しました。

「恥ずかしいことだけど、生まれて初めて、
自分以外の人のために描いたような気がするよ」
母は笑って言いました。

「あんた、小さい頃よく、お母さんの絵を描いたよ、って私に見せてくれてたよ。
あんたが忘れてるだけよ。私もお父さんも、よく覚えてるよ。

あの頃のあんたも、絵を描くのが大好きだったよ」

とっても真面目で、とっても照れくさい話をかき消すように、
酔っぱらって先に寝てしまった父のいびきに、
ふたりで吹き出したりして、淡々と夜は過ぎていきました。

こんな話をするのはきっと初めてで、きっともう最後だね、

僕たちはもう、次に進まなければいけない。

一度、寄り添っていたものが、
何かの瞬間で、
砂のようにさらさらとこぼれていく時がある。
もう跡形もない、何もない、
全て崩れ去ってしまった、
と思っても歩こうとさえすれば、ずっと道は続いている。

例え、靴ひもがほどけてしまっても、
また強く強く結び直せばいい。
ほどけてしまったからこそ、
結び方を知っていく。

両親がいつも言ってくれていた
「どんな時も、人様への感謝を忘れず、胸を張って、歩いていきなさい。」

その言葉をもう一度胸に刻み、楽しく生きていこう。できれば笑って、ね。

僕は、家族を愛しています。
全ての過去も、今の僕には必要だった大切な事。
あの、とてつもない大きな痛みは、きっと、優しさに変化していく。
そう、感じています。
もう、平気です。

僕は大丈夫。

友人夫婦に念願の子供が誕生したり、
一年ぶりに親友と再会したり、
別の分野でクリエイトしている友人の、渾身の力作を目の当たりにしたり、
そして、かつて恋人同士だった両親がまた新たな自分と出会わせてくれたり。
いろんな形での出会いが日々に彩りをくれます。
全ての友人に、
そして僕が気がつかないところで見守ってくれている全ての人に、
心からの感謝をしたいです。

真っ暗な世界に、
あなたたちひとりひとりが
灯し続けてくれていた光は、
いつもとっても
美しかった。

明日から、打ち合わせも兼ねて香港へ行ってきます。
また新たな出会いにわくわくしながら、境い目のない毎日を進んでいきます。

もう暗闇が来ても、何ともありません。

2012/02/23