今が始まる少し前

2012年も始まって、気づけば半月も経とうとしています。
今年の正月はイタリアへ行ってきました。
ミラノ、ローマ、フィレンツェ、ベネチア、メストレーなどなど、
かなりの強行スケジュールとはいえ名所をくまなく車で回ってきました。

どこも素敵な街でしたが、中でもベネチアがとっても好きでした。
今度は本島のホテルに泊まってゆっくり過ごしたいと思いました。

イタリアの街がそうさせるのか、イタリアにいる自分が高揚していたのか、
毎朝毎夕、とっても空が綺麗でした。
いつも帰ってから気づくのですが、自分はどこへ旅しても、
空の写真をよく撮って帰ってきます。
そして後で振り返ってみても、どこから映した空かどうかをあまり覚えていません。空はどこから撮っても、やはり空です。

行きも帰りもトランジットはドイツでしたが、帰りのミュンヘンの空港で食事をしている時に、
店が込み合っていて同席になった女の子がいました。
僕が日本人だということを伝えると、真っ先に「福島は大丈夫?」と質問してきました。

彼女はチェルノブイリ周辺の街の出身だと話してくれました。
いつか日本にも訪れたいと言ってくれて、最後の別れ際に教えてくれました。

「風評や噂に惑わされないでね。それが一番怖い事だから」
僕が絵を描いていると伝えると、すぐに携帯でサイトを見てくれて、
「素敵な絵ね」と言ってくれました。とても嬉しかった。
お互いに英語がとても下手で、言葉では全く伝わるはずがないような事も、
身振り手振りや表情で全てがわかったような気がしました。

きっとどこにいてもどんな場所にいても、やっぱり見てる空は同じで、
そしてやっぱり同じ空の下にいるからなのかもしれません。

絵を描いていてよかったな。と、また僕は絵に感謝をしました。
空のような絵を描きたいな、どこにいても、いつでも飛んでいけるような
そしていつも寄り添ってくれるようなあたたかい絵。

帰国してすぐ彼女にメールをしました。

「日本は素敵な国です。あなたが生まれ育ったあなたの街がそうであるように。いつでも待ってます」

自分が日本人であることを、どこかの国に行かなければわからない。
自分が自分であることを、誰かと比べなければわからない。
自分が幸せであることを、誰かを否定しなければ感じれない。

僕たちは人間だから、たくさん惑わされて、たくさん間違ってしまうけど、
やっぱり、「今」のこの状況と、共に生きていることへの感謝を忘れたくない。

そして次に来る「今」が結果的に変わっているのなら、
共に喜びたい。そう強く願いました。

今、今、今の瞬間の継続がいつのまにか過去になり、「記憶」になってしまうように、
記憶になってしまえば忘れることもできるし、思い出すこともできる。
誰かにとっての記憶は何てことのない事かもしれないけど、
また違う誰かにとっての記憶は、もう思い出したくない事なのかもしれない。
誰かの事を思いやるばかりに、たくさんの情報が錯綜し、
それに追い打ちをかけるように自己顕示と嘘という余計なものまでが絡み合い、
結局はもう何もないほうがいいのではないかと、疲れてしまうことがあります。

過去の統計や、未来の計画も、きっと必要なことだとは思うけど、
そればかりになって「今」がうやむやになってしまったら、
その時から既に未来の青写真は違うものになってしまっていくような気がします。

「今」、何をしたいのか。
僕はそれを感じようとしています。
あれからもうすぐ一年が経とうとしています。

物心ついてから、手帳や落書き帳を持ち歩いては、気づいた事や閃いたことを書きとめる癖があります。
僕は絵を描くのが好きですが、それと同じくらい言葉を書くことも好きです。
最近は手帳の他にも、パソコンや携帯の中のメモ帳に断片的な言葉がひしめきあっています。それらを見返すこともなければ、あまり思い出すこともありません。

でもどうしてもひっかかってとれないフレーズや言葉は、
見返さなくてもずっと心の中に残っていたりして、それがいつの間にか絵に変わっている気がします。
なぜ、残すのかもわかりません。たいした理由もないような気もします。
強いて理由を挙げるとすれば、僕は表現することは得意だとしても、
伝えることは苦手なのかもしれません。
だから瞬間瞬間に感じることを書きとめて、絵にして、いつか伝えたいと思っているのかもしれません。
今、なぜか何だかとっても伝えたいのです。伝えることが上手じゃなくても構いません。
ただ何だか伝えたい。いつかの「今」にその理由がわかるかもしれないし、わからないかもしれない。
背伸びをせずに自分の言葉で、絵になる少し手前の、今がはじまる少し前の「今」を。
手帳がひとつ増えた感覚で、「今」と「少し前の今」を伝えていきたいと思っています。

同じ空の下の、どこかの、誰かに、伝えるトライアル。
見返すこともなければ、思い出すこともなくても、忘れることもない。

本当に伝わった瞬間ってそういうことなのかもしれない。

ずっと長い間住んでいた福岡で、3月に個展をすることが決まりました。
今年は展示もいくつか決まってきていて、伝える機会も何だか増えそうです。
予定が入ることは嬉しいことだけど、予定に気を取られると、何だか窮屈になってしまいます。
そして僕の場合は、「今」に集中してないと絶対に絵が産まれてきません。
絵がないからには予定も白紙に戻り本末転倒になりかねないのでどうやら今年もトライアルの年になりそうです。
日々を楽しみ、僕という名前のパイプを綺麗にして、作品が滑り出てくるのをいつでも待つのみです。

凛とした冬がずっしりと僕らを支えています。

今が始まる、少し前。
そして僕らは春が来るのを知っています。

2012/01/16